「お笑い」について書き始めたら、
各地からいろんなアドバイスや
ご意見いただきました♪
ありがとぉー♪
層が厚くて裾野も広い、
すっごい「文化」なんだなーと、再認識してまふ。
ところで、昨日の
「コケたときに突っ込む(関西)、
知らぬフリをする(関東)」について、
弥絵の先輩、重太朗さんから、
興味深いメールが来たので、ご紹介。
重太朗さんは1月に会社をやめて、
現在はプー太郎してるのだ
(たぶん、まだプーだと思う)。
中学からパンクニューウエーブのバンドやってて、
ムーンライダーズの壮絶なファンで、
仏像や焼き物などのわびさびに精通しているあげくに、
競輪に人生をかけている(ように見受けられる)
大変、ユニークな先輩です。
重太朗さんとの初めての出会いは、
会社の新年会でした。
ウクレレを持って漫談をひょうひょうと
一人でこなす姿にびっくり。
弊社では変り種の方でした(←ほめ言葉)。
面白い人からやめていくのよねー(;_;)
(ちなみに重太朗さんのサイト「いわまし部族の競輪人類学」はこちら
おススメは日報と、競輪わかる方は、
競輪のページをどーぞ♪
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関西ツッコミ文化に関する一考察。
人種(と言うと語弊があるが)の多様さが
関西人をしてそうさているのでは、と。
アメリカの都市に住む人々が
やたらしゃべる感覚。
過剰な挨拶。
都市空間で、すぐ近くにいる奴が得体の知れない
何者だかわからない、ゆえに、
とりあえず挨拶を交わして
同じ人間だと安心感を得ようとする。
人種の坩堝またはサラダボウルと言いますぐらい
色んな人々が集散している。
それと同じことが京阪神文化圏にあるからではないかと。
公家武家商人百姓職人宗教関係芸人渡来人山の民漂白民の様々な集団。
さらに1910年前後から半島から連れてこられた人々。
日本中のどこにもあることですが、
割と生活空間が混ざることなく
混在していたのに対し、
京阪神では 明治以降の工業化都市化で
とみに著しく混在したと 思うのですよ。
で、アメリカ人同様、必要以上のちょっとした
コミュニケーションによって不安を鎮めた。。。
以上、検証を要する仮説に過ぎませんが
関西文化を知る一助になれば幸いです。
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「東京の方が各地から人が集まった
他人の集まりだから、
コミュニケーションしないのかな?」
と思ってたんだけど、
関西の方が古くから栄えていて、
人の入れ替わりや流入が多いのだから、
そこは比較にならないのね、っと理解。
高度経済成長以前の時代は、
人とコミュニケーションしないと、
食うに困って、生きていけなかったのかも。
(うちの親は結婚当初、近所の家にお風呂を借りに行ってたらしいし、
貧しい分だけ力を合わせてとか、あったのかも )
高度経済成長と共に巨大になった都市、東京は、
情報網の発達などもあり、
近所の人と交流しなくても生きていけるもんねー。
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