ぼくの見た戦争 高橋邦典 ポプラ社
「子どもに見せられないことを、
大人たちがやっている。 」
という一行のコピーの横には、倒れた戦友を抱えて泣いているアメリカ人兵士の写真があって、
「私たちポプラ社は写真絵本『ぼくの見た戦争 2003年イラク』を、
子どもたちに向けて出版しました。」(←クリックして全文をお読みくだされ)
とコメントされているじゃありませんか。
「子ども向け?こりゃ、たまげたっ!」と即買いしました。
年末、毎晩、NHKの「映像の世紀」を見てて、戦争や難民の映像のオンパレードだったんです。 普段、テレビを見ない=映像を見慣れてないもんで、インパクトが強くてねえ(^_^;) はあ〜もぉ〜、脳みそも心もパンクしそうで、へろへろでした。
で、この写真集がショッキングな戦争の現場写真だったら、イヤだなあ〜と思うと同時に、
この難しいテーマをどう子どもに伝えようとしてるのか興味を持ったわけでした。
カメラマンの高橋邦典さんが文章も書いてるんですが、押し付けがましくない、偽善的じゃない、扇情的でもない、淡々としてるけど、まっとうな語り口で、それは納得しました。
でもって、新聞の写真などではわからない(新聞の写真の方が扇情的だと思う)
土地の空気とか、温度とか、人のざわめきみたいなものが写真から伝わってきて、 そこに
「人が生きている日常」が感じられたのでありました。
フツーの生活を送っている人たち(攻める側も攻められる側も)が、殺しあう現場とか、瓦礫の下で泣いている人とか、そういう現場の写真を見て、思うところが人それぞれ違うと思うんだけど、弥絵は、ものすごく不謹慎ですが、初めて大大大失恋したときの心境を思い出しました。
「そんな!(;_;)」って感じで、一晩泣き明かしたんだけど、朝になったら、おなかがすいてきて、
「あ、こんなときでもおなかすいちゃうんだなー」と。で、「ごはん食べよう」って思ったんす。そういうもんなんだな、と。
それでも朝は来る。食べなきゃ!
なにがあっても生きるっ!
ってのがこの本の読後感で、妙に気合はいちゃいました。
こういうの見ると、自分にできることはあるんだろうか?と、無力感になっちゃうんだけど、
この本のあとがきに
「ぼくがそういう地域にでかけて取材をする理由としては、ジャーナリストとしての強い使命感よりも、自分がそこに行ってみたい、 その土地の人々に会ってみたい、そして、そういう過酷な環境におかれたときに、自分はどんなことを感じるのだろう、といったような自分の好奇心の方が強いのです。」というくだりがあり、あるべき姿だなーとしみじみ。
理想とか使命とか、人としてとか、そういうのを考える前に、突き動かされるようにやっちゃうようじゃなきゃウソなわけで、自分は自分が突き動かされることを一生懸命やるっきゃないなあと思ったわけでした。
ところで、ふと、自分が子どもを持っていたら、この本を見せるだろうか?・・・・と、思いますに・・・微妙(^_^;)
兵士が銃を持って砂漠に身を伏せる写真の、空がねえ、すごくきれいだったんです。
そんでもって、燃え上がるバクダットを砂埃舞う遠くから写した写真は、イギリスのターナーの絵のようでした。
人間が存在しなくても、地球はとっても美しいと思うことは、子どもに言うには、ちょっとはばかられる心境です。
はじめまして、こんにちは。弥絵です。
(このトラックバックというものも初めて使うので、
これで合っているかどうかも不安)
素敵なお話をありがとうございました。
親子であっても、人として個人を尊重した
自立した関係を感じて、胸に染みました。
子どもがいないので(というか、結婚もまだでして)
子どもというのは、親が100%思うとおりに育てられるという
錯覚を持ちそうになる気持ちがどこかにあるんですが、
同じ物を見ても、同じことを感じることはないし、
だからこそ、コミュニケーションが成立して、
ひとつひとつの言葉や出来事が、双方の糧になっていくのだなあと
そんなことを思いました。
投稿情報: 弥絵 | 2004-01-16 01:53
弥絵さん
こちらの方にもコメントを書きます。
トラックバック。Blogのおもしろさの一つです。
BlogとBlogが繋がって行く。こうやってBlog間でやりとりが始まる。
まさに弥絵さんのコメント、「ひとつひとつの言葉や出来事が、双方の糧になっていく」を実現する仕組みであるなぁと...
想いました。
P.S.
私も北海道生まれです。極寒の地 名寄市。今は千葉に住んでおります。
投稿情報: kwmr | 2004-01-18 18:09