先日、アメリカのドキュメンタリー映画「チャレンジキッズ」を観ました。マイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」と発表年がかち合ったためアカデミー賞をとり逃してしまい、いまいち有名にならなかったんだけど、とてもいい映画です。
このドキュメンタリーは、全米スペル暗記大会に参加した8人の子どもたちとその家族を追ったもの。この全米スペル暗記大会は、日本でいえば甲子園並に全土が熱狂するイベントなんだそうです。毎年900万人(!)の子どもが参加し、優勝者は努力ができる優秀な人物として一躍有名人になり、その後の一生も尊敬されて過ごせるのでした。そんなイベントがあるなんて初耳でした。
8人の子どもたちとその家族はほんとさまざま。ある家族は・・・「子どもに教育を受けさせてやりたい」と願い、メキシコから警察の暴行を受けながら不法入国した親。親は英語が話せないけど、英語が話せる子どもを誇りに思い、子どもは親の気持ちに応えようと一生懸命勉強しています。またある家族は、インド移民で大富豪になった親。「努力し続けてチャレンジすれば、アメリカなら成功できる」「今回のこの苦難を乗り越える経験をした息子は、今後どのようなことがあろうと生き抜く力がついているはずだ」と言います。犯罪者を父に持つ黒人の女の子は、世間から白い目で見られるお母さんを助けたいと思い、出場を決意します。天才に生まれたがゆえに、友だちができない息子を持つ親は、「自分と同じような力を持つ子どもと会場で出会えば、友だちができるかもしれない」と参加を喜びます。
どの子どもも、どの家族も一生懸命で、親は子を思い、子は親を思い、その家族の姿を観てると泣けちゃいました。
観る前は、なぜ、そこまで勉強することに必死になれるのか?ということがわからなかったし、暗記力よりも思考力を競争したほうがよいのでは?と、大会の意味と価値そのものがわからなかったのですが、観終えて、なるほど、歴史が浅くて移民が多く、たくさんの宗教と民族が入り混じるアメリカならではなんだ!と気がつきました。
アメリカでは18世紀から「言語(英語)の習得が社会の一員として人から認められる証」、「教育は階級を超える」ということがみんなの常識なんだそうです。移民はまずアメリカ人と認められるために英語を覚えないといけないし、教育レベルが地位や収入に必ず直結するから、勉強をがんばれちゃうんですね。壁や困難が目に見えてるからがんばれるというわけで、日本とは環境が違うようです。
ところで、ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字&尊敬語・丁寧語・謙譲語などが入り混じる日本語の方が英語より複雑、と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。アメリカで使われている単語のもとをたどっていくと、たくさんの民族から生まれた言葉で溢れていて、語源はイギリス英語、ラテン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語・・・とさまざまで、同じ発音でも語源によってつづりが異なります。また、多宗教のため、例えば「結婚許可証」という言葉も、宗教によって異なります。人種も民族も宗教も文化も常識も違うし、移民の集合体の国ってえらいこっちゃ!いったいなにでまとまっているのか、大変興味がわきました。
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