父は脱サラ神主で奈良の明日香村におります。そんでもって、たまに、「はて?」と思うことを言うのです。
「京都のお稲荷さんの祠を移すことになって祭詞(仏教のお経みたいなもの)をあげたのだけど、お稲荷さんには2派あって‥‥」。なぜ、お稲荷さんは2種類なのか? ひとつしかないのなら、全国に広まった、ということでわかります。逆に全国各地にあれだけお稲荷さんがあるのだから、もっといろんなお稲荷さんがいてもいい気もします。
また、出雲の国造りの話をしているときに、こう言いました。「おおざっぱに言うと、全国区をみる神様と地方区をみる神様のおおきく2つにわかれていてね」‥‥って、日本の神さまは中央と地方にわかれているのですか? 大昔からあったのに、まるでいまの政治みたい。
京都や奈良をぷらぷらしていると、寺のなかに鳥居があるところもあるし、また、その逆もあり、それも不思議。神社に「宝は廃仏毀釈のときに失いました」と説明書きがあったりして、なぜ、神社なのに廃仏毀釈の影響が? 廃仏毀釈もよくわかんないし‥‥どうもフに落ちないことばかり。そんなわけで、この本を読みました。わかって、おもしろかった! わかるっておもしろい〜。
「神々の明治維新 −神仏分離と廃仏毀釈」安丸良夫(岩波新書)
「廃仏毀釈」は明治維新のときに、国家統一を急いだえらい人たちが考えた仏教弾圧。宗教を国家神道に1本化して、それ以外の宗教はなくしちゃおう、とした動きだそうです。そもそもは、キリスト教が浸透することをおそれたことからはじまっていたとな。開国したのだからキリスト教もオッケーだろうと思うのだけど、なんでも島原の乱のような、国よりも神様を上位に置き、命さえ信仰のために投げ出す人が増えたら、国家がまとまらない、と考えたそうで。だったらキリスト教が広まる前に、すっごい宗教をつくろうって考えたみたい。
国家がまとまらないといえば、民間信仰、流言、迷信、占い師、山伏、浮浪者、そのほか、富国強兵において生産性がないと考えられた芸人や、えらい人から見たあやしいもの、ふらちなこと、ゆゆしきことが、県によって少しずつ違うけど一掃されたそうです。これじゃ、妖怪もあやしそうな風習もなくなるわあ。また、えらい人が体系立てた国家宗教に統一するため、神様の名前を変えられた神社やお寺もあったみたい。もともと拝んでた人たちは、神様が変わっちゃって複雑だったろうな。
つまり、江戸時代までの宗教観や風習・因習・あやしいことは、明治維新で1回、断絶したということですねえ。へー。(細々と続いていたり、姿を変えたものはあるのだろうけど)
根っこが1度とぎれたのだから、それから何世代もたっている私たちは、そりゃ、クリスマスでもお盆でも初詣でも、ありがたかったり、たのしかったり、おもしろそうだったらやっちゃうわ。
ところで、著者の安丸さんは、本のなかで、こう語っておられます。
「近代社会への転換にさいして、旧い生活様式や意識形態が改められ、民族的な規模でのあらたな生活や意識の様式が成立してゆくのは、どの民族にも見られる普遍史的な事実であり、それは、近代的な国家と社会の成立をその基底部からささえる過程である。だが、日本のばあい、近代的民族国家の形成過程は、人々の生活や意識の様式をとりわけ過剰同調型のものにつくりかえていったように思われる。神仏分離にはじまる近代日本の宗教史は、こうした編成替えの一環であり、そこに今日の私たちにまでつらなる精神史的な問題状況が露呈しているのではなかろうか。」
なるほどなあ。日本人の意識は過剰同調型になったのかあ。