「スターダスト・メモリー」
ウッディ・アレンが監督・主演で、
フェリーニの「8 1/2」への
オマージュとして作った20年前の映画。
スランプに陥って映画が撮れなくなった監督が主人公。
周囲の期待や名声や富によってくる人々の欲望に
振り回される毎日に嫌気がさして、
妻、愛人、恋人からも口説きつつ、
肝心なときに逃げまくり
ついに、映画が撮れなくなった映画監督の
映画を撮ることになり・・・
ってなストーリー。
「8 1/2」はフェリーニの中でも
一番好きな映画のひとつなので、
パクられてはファンとして困るんだけど、
この映画は、ウッディ・アレンと一緒に、
「ああ、このシーン、あそこのね♪ これを選ぶなんてニクイわねえ」
ってな感じで、2人で映画を観ながら
おしゃべりしてるような、温かさがありました。
なにぶん、フェリーニの「8 1/2」の主役は
カトリーヌ・ド・ヌーヴをはじめ、
世界中の女性をとりこにしたイタリアの殿方、 マルチェロ・マストロヤンニで、
「殿方は、こうでなくてはっ!
このかっこよさと、ガキっぽさと、
色気と、なさけなさがいいっ!」
と、弥絵が高校時代に感激ししたくらいのいい男。
「人生は祭りだ、共に生きよう」
という「8 1/2」の中の彼の名セリフにめろめろぉ〜。
ところが、「スターダスト・メモリー」の主役は、ウッディ・アレンなので、
映画の中で「あなたって、ほんとにどこから見ても
いい男だわ」と女の人に口説かれても、
やっぱ、ムリがあるっていうか、違う(←この辺のギャップも狙っているだろうけど)。
むぅ、アレンもステキなんですけど、
マルチェロとは比較できず・・・
別の映画として観なければ、 ついていけない・・・。
というわけで、別の映画として観てみると、
ウッディ・アレン持ち前のシニカルな社会風刺がいっぱい。
いつも、彼の映画を観ると、
「ここまで過敏に現実を洞察
しなくてもよいではないか、
それはそれで生きていくのがつらいぞー」って、思っちゃうし、
今回なんて、熱烈なファンに
「あなたは僕の神様だ」っていわれながら、
射殺されるシーンがあって、
ジョン・レノンを思い出して号泣しそうになり、 観てるのがしんどかったー。
(注:ジョン・レノンはこの作品の直前に
お亡くなりになりました(;_;))
ああ、面白いなーって思ったのは、
映画で名声を博せば博すほど、
「自分らしさ」というのが周囲に認められず、
妙に期待されて、
「あなたってそういう人じゃないはずだ」って思われるところ。
「自分らしさ」を持つことが、
世間から見て「えらい」とか「かくあるべし」
ってわけじゃないって話ね。
最近は「自分らしさ」「自分探し」ブームで、
「それがないのはへんだっ!」 って感じで、
「自分らしさ」を探すのが目的
になってることが多いけど、
「私の自分らしさは●●●です」と、すらすら言える人も気持ち悪いし、
持てば持ったで、この映画の主人公のように
社会の中で葛藤するわけで、
そんなに真剣に「自分らしさを探す」ことに
一生懸命にならなくてもよいのでは?
と思ったわけです。
行動してれば、そのうちついてくるもんだし、
人に説明したり、人から定義されるもんじゃないもんね。
ちなみに、弥絵もいまだに
自分のことがわかんないことだらけで、
人が弥絵についてどう思おうと、
その人にとってはそれが本当だから、
どんな「弥絵像」でも「そうでしょうとも」
って感じだわ〜(^-^)
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