最近、研修が流行っていて、弥絵も毎週2回くらい、
いろいろな研修に連行(?)されて、
中・高時代に戻ったような気分になっております。
なにせ、弥絵の勤める会社は、教育サービス系ですから、
研修にも眠気も吹っ飛ぶ工夫がいろいろ。
突然、あてられてテキストを読まされたり、
計算問題が組み込まれていたり、
最後に練習課題があったりと、ぼーっとしていられません。
ひぃひぃです
(もともと席について勉強するという
習慣と根性がないため)。
高校時代は、いかにサボるかを考え、ふらふらしていた私が、
社会人になってから、ちゃんと席についているというのは、
給料をもらうというのは、こういうことなのだって感じ。
先週受けた「広報担当者研修」ってのは、
マスコミとは何か?どのように対応すべきかについて、
1から10まで解説してくれる内容だったけど、
父・アナウンサー、上の弟・新聞記者、
下の弟・報道カメラマン
というマスコミ一家に育った私には、
違和感が多々あり。
苦笑しまくってしまいました。
まあ、別の世界から自分が生まれ育った世界を
覗くいい経験にはなったかなー。
今日受けた、財務研修(PL)は、
これは阿鼻叫喚もので、
基礎解析も代数幾何も、方程式さえ出てこなかったのに、
計算問題全滅。
しくしく(;_;)
この手の能力は、まったくもってしてないことを再認識。
そんな中で、ひとつ、とっても興味深いなあって思ったのは、
「財務は定義とルールが命なんだー」
って気がついたところ。
たとえば「儲かった(利益)」っていう状態は、
唯一無二のどこからどう切っても、
だれが見ても同じように捉えるものである
と思っていたら、どうやらそうではないみたい。
定義とルールの設定次第で、
どうとでも変わるものなのかな?と
思ったりもして。これって、ゲームと同じね。
「利益とはこれこれこういうものです」
という定義が変わったら、
利益がどのくらいあるか、
それがどの程度すごいかってのは、
ころっと変わってしまう。
「人を殺してはいけない」ってのは、
戦争でもない限り、人類に共通の普遍的なルールなんだけど、
そういう普遍さ加減はなく、
お金とか経済ってのは
人間の作り出したものなんだなあって
そんなこと考えながら、研修受けてました。
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