熊野に「花の窟神社」という「日本書紀」にも出てくるイザナミノミコトが亡くなって葬られたところで、年に2回、めずらしいお祭りがあるそうな。2月2日に行われる祭りを父が案内してくれることになって、FAXで参考文献リストが送られてきました!おお、この歳になって親から参考文献リストが送られてくるとはなんだか、こっぱずかしいぞ!とはいえ、おじーちゃん世代の知識や経験はおそるべしであります。10冊以上あるそのリストの本の半分はすでに絶版で手に入らないのだけど、なかなかおもしろそうな本が並んでます。特に「なんのこっちゃ?!」と思ったのが、『神々の沈黙』。アメリカの人が書いた本で熊野にはまったく関係ないけど、びっくりぎょうてんの紹介文が書かれてました。
まだ前書きしか読んでないのだけど、ご紹介(読み終えたら=謎解きができたらあらためて紹介します)。
『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ著/紀伊国屋書店
ざっくりいうと、文字を持つまで、人は個人の「意識」を持っていなくて、その代わり、右脳で「神の声」を聞いて行動していた、というんです。3000年前までの人の脳は、左脳は自分用、右脳は神の声を受信する用だった、というわけで、人は神の声に従って生きていた、って話。で、現代にもいるシャーマンみたいな人は、その当時の2つに分かれていた脳の要素が残っている、とのこと。
ジュリアンさんは「意識」のことを言語能力と比喩である、と言っていて、言葉で表す個人の意識には、ほんとのところ言葉と意識の間に「差異」がある、といっているらしい。そのため、他の人と共有しにくくて、意識は個人的で孤独なものだ、と。そして、個人が考えて組み立てた言葉で表した個人的な「意識」よりも、たぶん、直感とかひらめきとかそういうことだと思うのだけど、神の声のほうが、差異がないし、共有しやすく、人を動かすインパクトがある、ということらしい。
なんかよくわからないけど、へんてこでおもしろい本だなーと思いました。分厚いけど、挫折しないで読みたいと思います。
その本は読んでないので良くわかりませんが、その文字を持たない前は右脳で神の声を聞いて~というのはなんか、右脳は創造やらイメージやら司ると言われているのでそこに神の声が入ってくるとしたら、神の意志によって動かされる(影響される)天使みたいな状態ですねえ。
投稿情報: べる | 2008-01-27 01:03
べるさん、どもども、こんにちわー。
そうなんです、おっしゃる通りなんです。アーティスティックな資質の強い人ほど、この能力をいまでも持っているっていうようなことも書かれているようです。
また、読み終えたら、ご紹介しますねー。
投稿情報: 弥絵 | 2008-01-28 02:30