最近、知った「非実在青少年」って言葉。これ「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改定案に出てくる言葉で、マンガ、アニメ、映画、小説、ゲームなどに出てくる登場人物が、18歳未満とわかる表現で、みだりに性的なことをしたり性的対象になるような表現をしたら、青少年の犯罪や自殺を増長するからいかん、というわけ。
この改正案は、インターネットや携帯が普及したことと、児童売春・児童ポルノを禁止する法律と、わいせつ罪(今回指摘されているのは罪じゃなくて、わいせつ未満だと思う)がこんがらがって、へんてこになってますねー。
ところで、この「児童」は18歳未満のことです。私、以前は18歳未満ってけっこう大人で自我も分別もあるのに、なんでー?と思ってました。そうしたら、理由がありました。1976年に国連で採決されたユニセフの「子どもの権利条約」です。
ユニセフの条約はいろんな決まりがありますが、禁止事項の代表的なものは、
「18歳未満は、兵士にして戦地に送らない、性的な搾取、臓器売買、強制労働は禁止」
です。これはすっごくだいじです。命がかかってる切実な話で、援助交際やブルセラ・パンツ販売と同じ次元で考えてはいかんなーと。これ知ってから、世界の18歳未満が児童というルールでもいっかーと思うようになりました。
※豆知識ですが、「子供」は大人のお供で、従属しているようにとられ差別になるからと、「子ども」と表記するそうです。
そして、ユニセフの条約をもとにしてできた「児童売春・児童ポルノ」を禁止する法律。これで取り締まられるようなことをしている人や出来事は、現実です。18歳が大人と本気の大恋愛しちゃったら、それはそれでいいけど、まあ、守るべきかな、と。(もっと言うと、この罪が脱税罪と上限の懲役・罰金が同じくらいって、いかがなものかと思います。人権と金なら、人権の方がだいじだろうに)。
で、非実在青少年は想像です。これじゃあ、買おうとしていた永井豪の「ハレンチ学園」も、持っているマルキ・ド・サドの特装本も、この間読んだ三島由紀夫の小説も、ひいきにしてるメッセサンオーもひっかかってしまうではありませんか。「表現の自由」というとおおげさかもしれないけど、松文館の裁判結果とか見てたら、条例が成立したら規制されて摘発されるものも少なくない気がします。
そもそも、インターネットと携帯がここまで普及したら、子どもを育てている方は大変だと思うけど、法律つくって川下で規制したりフィルタリングして、止めようとしても現実的にムリ。条例改正に関わっている人も、ムリだと知っていると思うんですよね。素人の私が考えても、たくさん抜け道があるし、見る方も自分が歯止めしたり、見る場合はそれが倫理的にOKかNGかを判別して見ないと。本気で子どもの権利と安全を守りたいと思うなら、「ムリ」ってところからスタートして、何をしたら可能になるかを考えないと。非実在青少年じゃないでしょ。
なんというか、今回のことだけじゃないのですが「ないものにする」ってのは、解決にならないのでは?と思うときがあるのです。たとえば売春婦は日本にはいません。違法だから存在しえないのです。だから保証も保護のルールもありません。違法の本やビデオも、摘発されるまでは、存在してないことになっているので、出回り続けます。
ああ、お休みだから長くなっちゃいました。恐縮です。
この改正案は、インターネットや携帯が普及したことと、児童売春・児童ポルノを禁止する法律と、わいせつ罪(今回指摘されているのは罪じゃなくて、わいせつ未満だと思う)がこんがらがって、へんてこになってますねー。
ところで、この「児童」は18歳未満のことです。私、以前は18歳未満ってけっこう大人で自我も分別もあるのに、なんでー?と思ってました。そうしたら、理由がありました。1976年に国連で採決されたユニセフの「子どもの権利条約」です。
ユニセフの条約はいろんな決まりがありますが、禁止事項の代表的なものは、
「18歳未満は、兵士にして戦地に送らない、性的な搾取、臓器売買、強制労働は禁止」
です。これはすっごくだいじです。命がかかってる切実な話で、援助交際やブルセラ・パンツ販売と同じ次元で考えてはいかんなーと。これ知ってから、世界の18歳未満が児童というルールでもいっかーと思うようになりました。
※豆知識ですが、「子供」は大人のお供で、従属しているようにとられ差別になるからと、「子ども」と表記するそうです。
そして、ユニセフの条約をもとにしてできた「児童売春・児童ポルノ」を禁止する法律。これで取り締まられるようなことをしている人や出来事は、現実です。18歳が大人と本気の大恋愛しちゃったら、それはそれでいいけど、まあ、守るべきかな、と。(もっと言うと、この罪が脱税罪と上限の懲役・罰金が同じくらいって、いかがなものかと思います。人権と金なら、人権の方がだいじだろうに)。
で、非実在青少年は想像です。これじゃあ、買おうとしていた永井豪の「ハレンチ学園」も、持っているマルキ・ド・サドの特装本も、この間読んだ三島由紀夫の小説も、ひいきにしてるメッセサンオーもひっかかってしまうではありませんか。「表現の自由」というとおおげさかもしれないけど、松文館の裁判結果とか見てたら、条例が成立したら規制されて摘発されるものも少なくない気がします。
そもそも、インターネットと携帯がここまで普及したら、子どもを育てている方は大変だと思うけど、法律つくって川下で規制したりフィルタリングして、止めようとしても現実的にムリ。条例改正に関わっている人も、ムリだと知っていると思うんですよね。素人の私が考えても、たくさん抜け道があるし、見る方も自分が歯止めしたり、見る場合はそれが倫理的にOKかNGかを判別して見ないと。本気で子どもの権利と安全を守りたいと思うなら、「ムリ」ってところからスタートして、何をしたら可能になるかを考えないと。非実在青少年じゃないでしょ。
なんというか、今回のことだけじゃないのですが「ないものにする」ってのは、解決にならないのでは?と思うときがあるのです。たとえば売春婦は日本にはいません。違法だから存在しえないのです。だから保証も保護のルールもありません。違法の本やビデオも、摘発されるまでは、存在してないことになっているので、出回り続けます。
ああ、お休みだから長くなっちゃいました。恐縮です。
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