書くことの秘儀
日野啓三 集英社
遺作となった短編エッセイ。
気になったところだけを拾い読み・・・という
恐ろしく文脈からはずれた、都合のいい読み方をしたので、
本の感想にはならないっす。でも面白かった〜。
まずもってタイトルがすごい=「書くことの秘儀」。
小説を書くってことは、
なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、
と言っていて、まさに錬金術みたいな話ですね。
(ソシュールの<シニフィエ>を思い出しました)
というわけで、気になったところだけ、ご紹介。
(本の内容からは逸脱。引用多量というオキテ破りです m(_ _)m )。
●「イワナの夏」(湯川豊)に収められている
「約束の川」に感動したって話。
釣りに行ったら初めて来た場所なのに、「時間ではかれないはるかな昔に」確かにこの風景を見たことがあるという「胸が苦しいような甘美な感覚」を受ける。すると友達が言う。「ここがきみの約束の川なのさ。釣り師にはね、その人だけに秘められていて、ある日突然何の前触れもなく姿を現す、いわば約束された川というものがあるのさ。釣り師は生涯にそういう川に2、3本は出会う。きっと、イヤんなるほどつれるよ、今日は」
これについて日野さんは感動して感想を述べ、最後に、下記のように言っていて、ふむふむ。
「私たちの全き現実性は、いつでも思い出せる記憶、
目に見える事物の範囲内だけでない」
「諸芸術の存在、その言い難くリアルな何かに対する
われわれの魂の共鳴、
そしてそこから生まれる遙かな永遠への想いを考えるとき、
意識の領域だけでなく、
個人の無意識的領域も大胆に超えてゆかねばならないように思われる。」
ま、個人の無意識といわれた瞬間に、弥絵にはわかんねえ〜と思ってしまうのですが、
思い出したのが、ホルヘ・ルイス・ボルヘス
の「バベルの図書館」。
無限数六角形の回廊で成り立っている建物で、螺旋階段があるっていう
無限大の広さと無数の蔵書を誇る図書館の話なんですが、
ここには存在する文字の可能な組み合わせがすべて印刷されて本となっていて、
あらゆる言語で書かれうることの総て・・・
全世界の全書物、 人類の言葉による精神活動の全体が、
過去から現在、 さらに未来の歴史にいたるまで、 すべて本となって収められているわけ。
無辺際の宇宙にたったひとり頼りなく放り出された 「わたし」 という個人の存在について、
その人生の意味について、 既にその未来までを織り込んで記された本が、
図書館のどこかにある・・・ その本を見つけさえすれば、
宇宙における 「わたし」 の存在の秘密は開示される。
人々はそれを自分だけのために探しつづけたというお話。
でもって、 作家個人は個人として作品を書くのではなく、
この無限大の図書館からインスピレーションを受けて書くともボルヘスは言っていて、
他の作品でも、同じようなことを言っているものは、けっこう多いんです。
作家が個を強烈に意識するがゆえに、個を超えてしまう畏れと感動が入り混じった感覚や、
その個を越えた状態の描写は、 いろんな文学作品に古今東西あって、
(分かりやすいところでいえば「2001年宇宙の旅」「攻殻機動隊」とかもそう)。
ひそかに集めているのだけど、 弥絵は、まだそれをうまく説明できませんm(_ _)m
●イニシエーション(成人儀式)について
一高に入学。学寮に入って、そこでの話。一高といえば今の東大ね。
当時の学寮には「ストーム」というイニシエーションの伝統が脈々とあったらしく、
高いところから落ちてみるとか、海を泳ぐとか、そういうことじゃなくて、
真夜中、寝ているときに、制服制帽の先輩が2人やってきてベッドを囲み、
暗闇の中で、淡々と質問するそーな。
「きみはなぜ一高に来たのか」
「何を求めてきたのか」
「生涯を賭けて求めるに値するものが、この世界にあると思うか」
「私という言葉を気軽に使っているが、自己とは何か」
「きみはいったい何者か。何者と言える何がある?」
寝ぼけてるときに、しかも、16歳、17歳くらいのときに、
これを質問されたら、たまんないわ〜。答えられないっ(^-^;(だからいいんだけど)。
「しまった〜、高校生向けネットの
入寮問題はこれにすればよかった」
と、3年前の仕事を思い出し、あの当時、これを知っていれば・・・
と口惜しくなりました。いい問いだわ。
・・・あまりに長くなってしまったので、
もういくつか、気になったところは、次回ご紹介 m(_ _)m
インプット周期に入ってきたため、自分のためのメモ書きになってしまって、
まとまりなくてすみません m(_ _)m 。
コメント