一年の計は元旦にあり・・・とかいいつつ、これといった計を思いつくこともなく、ごろごろしながら読書三昧。ああ、幸せ♪
部屋に転がっていた推理小説を6冊、「通販生活」の秋号と冬号を読破。「通販生活」はたまに自分と意見が違うところもあるので、「むぅ〜」とか思ったりもするのですが、これだけ真摯に社会問題を追っかける雑誌もほかにないので、とても興味深い存在です。
「一神教文明からの問いかけ」
宮本久雄・大貫隆 編 講談社
で、現在は昨年購入した本を熟読中。
「なぜ同じ唯一神をいだく文明が争い続けるのか、9、11を問い直す白熱の11講義」という本の帯のコピーに惹かれ購入。
どうして源が同じで信仰する神もずいぶんかぶってるイスラム教・ユダヤ教・キリスト教が争いあうのか、弥絵にはさっぱりわからないんです。
それぞれの宗教を信仰してるわけじゃないので、決して理解はできないだろうなあとわかりつつも、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教は、どこが同じでどこが違っていて、現在はどのような状態にあるのか知りたかったわけでした。
この本、東大駒場連続講義をまとめたもの。講師の半分くらいがヘブライ大学の教授で、11の講義が納められてます。 まだ一番目の講義しか読んでないので、この先、どのような話になるかわからないんですが、一神教の発生を旧約聖書の話から説明していて、これがとても面白いです。なぜ、原始宗教を信仰する人を悪役にしないといけなかったのか、どうして宗教を守るときに、対する宗教の人を一掃しないといけないのか多々疑問はわきおこるんですが、 ま、それはともかく、 原始宗教から一神教へのシフトは、どっちの神がすごいかの予言者と預言者の戦いによって決まり、結果、
プリミティブな王制(精霊崇拝などの多神教・祭政一致・呪術)から、
共同体重視(一神教・祭政分離・個と神の契約)に
パラダイムシフトしたってことがわかり、へえ〜って感じ。
旧約聖書には、フランス革命並のインパクトある社会構造革命がいっぱい詰まっているってことを発見しました。 過去にあった科学と宗教がどっちがすごいかっていう大喧嘩や、民主主義と共産主義or資本主義と社会主義のどっちがえらいかっていう話や、西洋医学と東洋医学のどっちが立派か論争を思い出したりもして。
そんなこんなで、一神教とは何か?というのを知ろうと思ってるですが、日本の場合、祭政一致はないにせよ、多神教ともいえるプリミティブな状態なわけで。クリスマスも祝えば、初詣にも行き、お盆も祭るし、社会の秩序を乱さない限りは、信仰してない宗教に対して無関心でもあり、寛容でもあるわけです。
いままでは、ちょっといいかげんなのでは?と思ったもんでしたが、
この日本のいいかげんな寛容さは、世界の役に立つのでは?!と、ひらめきました! 真っ向から対立しあう各宗教に対して、思い入れがない分、仲介役といえばおこがましいけど、つなぎくらいにはなれるかもしれないわ。
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