愛国心教育を必要とする人が8割を超え、過去最高を記録したそうな。教育の必要がないと答えた人はたったの10.4%だよ。弥絵、めっちゃ少数派。1割の中かあ・・・自分はすごく普通の人だと思っていたら、そうでもない結果が出たんで、びっくり中。愛国心ってなに? あなたの考える国家とはなにか? 国民とはなにか?を、この8割回答した人たちに質問してみたい。回答はまちまちだと思うんです。だとしたら、なにを正しいとして教える気でいるんだろう? でもって、万が一、みんな同じ回答をしたとしたら、それはそれで、非常に大きな問題です。
愛国心って「国」を愛するならわかるけど、「国家」とくれば、集団主義とか、戦時中のような状態になるような気がして、まったくもって気が進まないです。弥絵の場合、自分の身近な共同体には愛着や誇り、責任感は持てるけど、国家っていわれてもねえ。選挙に行くのがせいぜいかなあ(税金も払っているが)。でもって、「愛国心教育」。だれがなにを教えるわけ? 今の先生が教えられるとも思えないし、じゃ、宗教家だの政治家だのが学校にやってきて授業するってのもへんてこりん。弥絵に子どもがいたら、そんな気持ちの悪い学校に預けられない。
そもそも、今の子どもは「将来に対して希望がもてない」んです。大人のやっていることや親の様子を見ていて、いいことないなあ~って思ってる子の割合が、諸外国と比較して多いんです。愛国心教育よりも子どもひとりひとりが希望を持てる状態にする方がいいと思うなあ。もっと面白いことあるよ~とか、まんざら悪くないよ~とか。愛国心を育てよと言っているのは、年齢が高くなればなるほど多いそうですが、それは大人の責任転嫁だと思う。まず、子どもにとって身近な大人が胸をはれる1日を送ってみせることっす。で、欲をいえば、子どもが大人になる頃に花が咲く種をまいとくことなんでしょうねえ。
弥絵さんの意見とすごく近かったので、TBさせていただきました。
この記事のポイントは、「国を愛する気持ち」についての質問の仕方にトリックが潜んでいるんじゃないかとおもいました.それと、「国を愛する気持ち」を育てることが「愛国心教育」と関係ない気もしました。なんか産経貴社の意図を強く感じますね。
投稿情報: kagege | 2005-04-12 03:09
おじゃまします。
弥絵さんは「愛国教育は必要無い」と言う立場でいらっしゃっるのですね。
>自分はすごく普通の人だと思っていたら
全然普通じゃありませんね。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/5100/aikoku.html
http://blog.livedoor.jp/ken123atara456/archives/18509239.html
結構参考になりますよ。まぁ今回の世論調査はどこでしたか分かりませんが、国民全体のレベルが上がってきていると考えて良いでしょう。(ていうか今まで、その少数派の人が声を上げ愛国教育を阻止してきたのだと思いますが。)
>そんな気持ちの悪い学校に預けられない
気持ち悪かったら日本に住まなければ良いのです。
ただそれだけです。
後もうひとつ、愛国教育は
世界中の学校教育に共通するものです。宗教ではありません。アメリカでもフランスでも何処の国でも愛国教育は当たり前のことです。
ただそれが今まで放置されてきただけです。「戦後」の日本だけが唯一行っていません。
むしろ今までの教育、日教組主体の偏向教育が一つの宗教と言っても過言ではありません。
私から言えば今までの教育が一番気持ち悪いし、
そんな学校には子供を通いさせたくありません。
今徐々に変わって来ていると言うのは、日本がゴク普通の国家へ戻るための道なのです。
投稿情報: ゲーム帝国 | 2005-04-12 04:30
ずっとROM専門で楽しませてもらっていましたが
弥絵さんの記事で初めて、疑問に思いました。
愛国心=集団主義、戦時中のような状態
と考えてしまう教育を受けた世代がいるのが悲しいです。
愛国心とは「日本にプライドを持つ」ということです。
でも「プライド=集団主義、戦時中のような状態」では
ないですよ。
日本はいい国だと思います。
他の国にはない、沢山のいいところがあります。
それを国民が普通に誇れることが、気持ち悪いですか?
「愛国心」という言葉を単純に軍国主義のイメージ
と結び付けてしまう人間を育てた、今の教育制度のほうが
よっぽど気持ち悪いです。
投稿情報: P | 2005-04-12 12:44
ご無沙汰してます。わたしもいつのまにかマイノリティになっていたようです。。8割て!すごいな!質問の仕方にトリックがあると仰るkagegeさまのご意見に同意です。
しっかし愛されたいなら愛されるように努力してほしいもんですねえ。教育現場で強制とかしてないで。
投稿情報: おりん | 2005-04-12 15:51
ご無沙汰してますです。
こういう調査が「教育基本法」の改憲を後押しするんですよね。このままだと、そのうち学校で愛国心について教えると思うんですが、どう教えるんだろう・・・全然思い浮かばないです。教科書にどんな写真載るんだろう。ほんと想像つかないです。
小熊英二の「日本人の起源」とか、オーウェルの「1984」とか、読み直したくなってしまいました。
投稿情報: たつみ | 2005-04-12 22:28
続けてすみません、小熊さんの書名間違えました、「単一民族神話の起源」でした。
学校での教育、とりあえず「和菓子はうまい」としか思い浮かびませんでした。
投稿情報: たつみ | 2005-04-12 22:32
弥絵さん、ご無沙汰しております。サイダーです。
私は全く弥絵さんと同じ意見です。
一般的に愛国心のイメージはこちら
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%A6%B9%F1%BF%B4
の捉え方で宜しいかとおもいます。
残念ながら愛国心=郷土愛ではなく、愛国心=国家主義的でしょう。
現状の”君が代”斉唱強制等を合わせて考えると、今の日本政府が行う愛国心教育が怖くて堪りません。
ゲーム帝国さんが挙げている堀江社長のblogの様に、徴兵制を視野に入れた転換となるのは目に見えています・・・
投稿情報: サイダー | 2005-04-13 00:18
ども、弥絵です。
すっごく盛り上がってて、びっくりしましたー。
乱暴な物言いが多かったので、
まずったな・・・とも思ったのですが、
「愛国心」について。
無論、弥絵も愛国心は持っているわけなんですが、
あくまでも「国」であって、
「国家」とは区別して考えたい
ってところです。
今、めっちゃ面白い本を読んでまして。
「堅気の哲学」福田定良
市井の哲学者さんの本なのですが、
ひとりひとりの暮らしの中で、
つきあたっている問題
・・・恋愛や会社との関係やら、
家族との関係などから出発し、
自分、家族、社会、国を
自分の言葉で、自分のこととして考えよう
ってなわけで、
「我々」と「私」の違いや
「国家」と「国」の違いを
考える道筋を丁寧になぞってくれてます。
かなりすっきりした。
投稿情報: 弥絵 | 2005-04-13 02:46
うーん。
弥絵さん、こっち方面の知識は乏しいのを暴露
してしまいましたね・・・。
今後はこういう話題には触れないほうがいいかと。
投稿情報: keroro | 2005-04-15 14:14
公と私とを無思慮に対置させ、その奇天烈な文脈上で国民国家を論じる論客の似非論理がそのまま受容されることが可能なのがこのクニの現状なのだから、致し方ないのかなとも思います。
でもさみしいですね。
自分が実存的に帰属すべき物語が欲しいなら、わたしのように個人的に宗教に走れば良いのだと思います。それに他者を巻き込むためには、公教育による押しつけではなく私的な陶冶が必要なんじゃないかと思います。
っていうか、愛国心教育をしなければ愛されないようなヤワなクニではないと思うんですけどね。奴ら何を血迷ってるのか。
自分が、あるいは自分の恋の相手が手前勝手な愛され方で愛されることしか許さないっていうんならそら教育も必要か。
と、私的な陶冶の中にある身から出たサビのような書き込み。
テレビもラジオもないところで合宿してるので、こういう時事的なためいき日記は重宝しております。
では失礼します。
投稿情報: ちしゅー | 2005-04-16 01:34
こんばんはー。お久しぶりです。「愛国心」と聞いて私も思うところがあるのでコメント失礼します。
弥絵さんの
「愛国心教育よりも子どもひとりひとりが希望を持てる状態にする方がいいと思うなあ」
というご意見は多くのリベラルな文化人を代表するもの、と言えそうです。私も「子供が希望を持てる状態にする」には大賛成。ただし、それにはやはり「愛国心」は必要だと私は思います。
「国家という枠組みを越えた新しい価値観、倫理観がやがて世界を一つにまとめ上げる。自立した個さえあれば国家など関係ない、私は世界市民なのだ」、という発想があります。
頭の中にある概念と、日常生活的な皮膚感覚とは必ずしも一致しないものです。
私たち生き物としての人間が、その縄張り意識を捨て、どこまでの範囲の人達に親近感を抱き、それを拡大していけるのでしょうか?
生活風土、宗教の違いからくる思考形態の差異、世界観・価値観の相違、それによるコミュニケーション上の混乱は、例え世界市民を標榜、自負する人達であっても容易に解決できるものではなさそうです。
多様性を認める、ということが実はその土地土着の文化に影響を与え、伝統を少しずつ破壊してゆくという現実。
人間が集う、とりあえず最上位の集団が、今のところ、国家という枠組みにおいてしか機能し得ないという現実を改めてしっかりと見つめ、そして捉えなおすいい機会なのかもしれません。
愛国=軍国
というイメージは、戦後のアメリカの占領政策がうまく行き過ぎたことの証だと思います。戦前・戦中と、戦後で日本人としての精神的な流れがプッツリと切れていることに最近になってようやく気付いた私です。
ちょっと話が拡散してしまいました、すみません(苦笑)。
しかしこれだけデリケートな話題にも関わらず皆さん紳士的にコメントをされるのはひとえに弥絵さんのご人徳でしょうね。
それではまた遊びにきます。ご自愛下さい。
投稿情報: ケン | 2005-04-18 23:54
「愛国心」教育と「平和・反戦」教育は似ている。
あとは「差別」教育や「同和」教育も。
共通の概念なんてないんだから、教育現場で
取り扱う必要は皆無に等しい。
「反核」教育、「道徳」教育も必要は全くない。
それよりも、数学や国語の授業時間を増やした方が良い。
あー、一番要らない不必要な教育がまだあった。
「男女共同参画社会」教育、「男女平等」教育だ。
男女平等だの、愛国だの、道徳だのといった宗教教育は要らない。
それよりも、学力を向上させる教育を充実させないと。
投稿情報: 名無し | 2005-04-25 17:06
たまたまお邪魔しました。
アンケートなんてどうにでも操作できますのであまり信頼は置けませんが、嘘も何度も重ねれば真実味を帯びてくる理屈です。 靖国神社に参拝することが愛国心の発露と考えますか?と質問したらどうなるんだろう。
中国の愛国運動を見て素晴らしいとは思えませんね。排他的なナショナリズムであり、政治的に利用されているから。では、日本に誇りを持てるようにする、っていう意味でならどうだ、となればそれだけなら反対する人はいないでしょう。でも、これは言葉だけの言い回しだけの問題ではないでしょうか。
「親孝行はすべきでしょうか」という質問をしたら、なんと答えるか、半分はNOと言うでしょう。では、「あなたは親に親切にしたいですか?」と聞けば8割くらいはYes と言うかもしれません。
どっちにしろ、この国の伝統・文化・自然についてもっと知るべきだと私は思います。そういう知識や体験の乏しい状況で愛国心教育って言っても中身が無いですね。
自尊心が必要というのは当然ですが、自尊心にも2通りあります。自分を大切にすると言う意味と、自分は偉いと他を排斥するもの。現在の精神風土で愛国心教育というものが政治的意図で行われた場合どうなるでしょうか。愛することは知ること、より深く知れば自然に愛するようになります。だから、一般教育と愛国心教育は決して矛盾するものではないと思いますが。それ以前に受験一辺倒のこの国の「教育」が問題。
柔らかく考えたいのでいろんなことを書きますが、つまり愛国心教育はその中身が問題で、愛国心を持つべきでないとか持つべきだとかは議論にはなりません。政治家は素直に国民が国を信頼し国を愛せるように身を正すのが先決(これができないでしょう(^^))
それともっと日常的に普通に話題になるレベルで言えば、海外留学すると必ずその国の人から日本のことを尋ねられますが、殆どの人はそれに答えられない。日本の伝統文化風習について説明できない。それが何より恥ずかしい事だと聞きます。箸の正しい持ち方だって外国人の方がきちんと持てますしね。そういう視点から見て行くと無闇に議論になったり「よく知らないのに書くな」とかおかしな話にはならず明るく愛国心と言うか日本のことを考えられるのではないでしょうか。
投稿情報: goshu | 2005-06-24 08:53