会社で「子どものころに服を汚して、しかられたことのある人?」と聞かれて、「はーい」と手を上げたら少数派でした。モノが豊富な時代に育った若いお人はそういう経験がないみたい。うちの親はのびのび育ててくれる方だったので、厳しく言われることはなかったんですが、がっかりはされるんです。それが胸痛かったな、と。
で、子どものころは、すんげー、貧乏だったんだ!と気がつきました。
子どものころは、家族全員、正月に服&下着が全部新品になるの。大晦日の晩に母が枕元に、元旦に着る新しい服をきちんとたたんで置いてくれました。上から下まで新品になるのは、年にこのときだけだったし(←貧乏だったんだ)、定番だったセーターは母の手編みだったので、すごく大切に着てました。いま思えば、これ「晴れ着」の代わり。晴れ着と普段着の区別があったんだわ~。
今となっては、見た瞬間に「運命の出会い!」とか言って、バンバン服を買ってるんだけど、その分、1着、1着のありがたみは薄いです。同じような感じで、「ケーキ」があります。子どものころは、誕生日とクリスマスとお出かけした日にしか食べられなかった特別なものでした。が、今では毎日、ひょいひょい食べられます。うれしいけど、ちょっとだけさみしい。
昔に比べれば、衣食住に困らない毎日が晴れの日という、たいへんありがたい日々を過ごしているわけですが、それがフツーの日々なわけで。さらに「特別な日」を作るとなると難しいかも。モノ(プレゼントやご褒美)よりも過ごし方なんだろうけど、どういう心持ちになれば「特別な日」として過ごしてカタルシスを得られるのかしらん? 普段に「お祝い」や「祭り」のノリが増えた分、差別化するのが難しい。
ちょっと前までは仕事の山が一段落したときなど、「自分へのご褒美」ってな感じで自分が自分のためになにかしてたんだけど、これからは、人となにかを共有したり、分かち合ったりすること・・・そのときの儀礼や段取りやルール、受け取りするなにかが「特別な日」観を作るのかも。ま、祭りや宗教はもともとそういうもんですが、他になにかありそーな気がするなあ。
そうさねぇ。5歳くらいの頃、給料をもらったらマクドナルドの全メニューを食べたいと思いましたもの。
今は1ヵ月後のサロマ湖100kmウルトラマラソンに向けて、体重落とす為に食事制限中。食いたいけど食えん。。
投稿情報: しろ | 2005-05-20 09:12