「日本ケータイ文化論」って本がアメリカで出版されたそーな。英語だ。読めない。残念だ。
弥絵はあまりケータイを使いません。起きている間は、四六時中、パソコンの前に座りながら、本読んだり、マンガ読んだり、ゲームやったり、音楽を聴いてたりする。会社でもパソコンの前に座っているので、パソコンから長時間離れるのは、通勤中、電車に乗っている時間だけ(こうやって書いてみるとへんに拘束された生活~)。そんなわけで、メールはもっぱらパソコンで。ケータイは電話にしか使わないので、なくてはならないものだけど、ハマる存在じゃない。とはいえ、ツールとしてはケータイの方がパソコンよりも普及していて、ケータイの機能の中で最も使われているのはメールって時代に、メカ&新しいもん好きなわたしが、なんでケータイにはこだわらないのかしら?と自分で不思議だったんです。でも、この本の紹介を読んで、「あ、なるほどね」と思ったんす。コミュニケーションツールとして、ケータイとパソコンはぜんぜん別物だったのね。
この本からすると、パソコンが未知の世界への窓だとしたら、ケータイは親しい人との親密な領域をつなぐもので、「自分だけの楽園」を作るものだそうな。方向性が逆だったのか! 親しい人と親密な関係を築くなら、会って話せばいいじゃんと思う弥絵には、よくわからない、あいまいな感覚だわ。なんでそこまでつながっていることを頻繁に確認しあわないといけないのか? なにを確かめているのか? 面白そうなのでもうちょっと考えてみます。ところで、「ながらの元祖は二宮尊徳」って話も「へー」って感じでした。
>なんでそこまでつながっていることを頻繁に確認しあわないといけないのか? なにを確かめているのか?
「ケータイを持ったサル」って本がありまして、参考になるかと思います。
↓に感想がちょっとのってますね。
http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000369.html
最近「考えないヒト」という続編が出たりしました。
結局、西欧諸国と違って、日本人は他人と関わる為の自立した個が形成されていないからこういう文化が形成されるのではないか、と思っていたりします。
「対話のない社会」で、他人と関わることを圧殺する“やさしさ”についてまとめてありますので、これも参考にどうぞ。
書籍の紹介ばかりで、ごめんなさいm(_ _)m
投稿情報: kagege | 2005-08-25 04:01