今評判の「声に出して読みたい日本語」の作者の本、
「理想の国語教科書」
斉藤孝・文藝春秋
を、ざっくり読んでみました。
新聞で、斉藤さんが小学生向けの国語教室をやって、
弁天小僧の口上(こうじょう)を声に出して言うことしてるって
紹介されてたんで、
弁天小僧とはまた、シャレたもんだわさ、と
興味を持ったのがきっかけ。
この「理想の国語の教科書」(なんと小学3年生から用)も
目次を見ると、弥絵の好きな作品がいっぱい並んでいたので、
よいかもぉーと思ったのでありました。
夏目漱石の「夢十夜」、小林秀雄「人形」、
中島敦「名人伝」、 森鴎外「杯」、
ガルシア・マルケス「百年の孤独」、
「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」、
トルストイ、ギリシャ・ローマ神話 などなど。
文庫本の後ろについている本と作者一覧や、
各出版社の出している目録を眺めては、
「これはどんなお話かしら?」・・・と空想して楽しむ
まあ、身にならないくせが小さい頃からあって、
その当時から、大好きだった作家ばかりなので、
懐かしいですぅー。
で、読んでみて、小説そのものは懐かしいし、
今読むと、ずいぶん違った感じがするなあ
って思って面白いのだけど、
あれれ〜?と思ったところもありました。
朗読をし終えたら、青・赤・緑の三色ボールペンで
青:「まあ大事」 ←客観的な要旨
赤:「すごく大事」 ←客観的な要旨
緑:主観的に勝手に面白いと感じたところ
と、色分けしましょうってのが、
フに落ちなかったです。
弥絵が「ここがいい!」と思った箇所と、
各作品の解説で「ここが重要」と、
指摘されている箇所がずれてて、なにやらくやしい。
作品のどこが重要かというのは、
究極には各個人の勝手で、
100人いれば100人の解釈があるのが読書。
ちなみに、もちろん、学校のテストのように、
問題があり、傍線が引かれて
「ここはどういう意味か?作者の気持ちは?」
といわれたときは違います。
テストのときは自分の解釈よりも、
出題した先生の意図が肝心。
自分がその傍線を引かれたところを
重要と思わなくても、
問題作った人が、ココと示したんだから、
まあ、しょうがないや、
そっちの読み取り方で答えてあげるよ、
っていう寛大な心が、
テストで高得点を取るヒケツです。
おっと、話ずれたか。
いい文章ってのは、
文章<要旨<テーマ<普遍的なメッセージ
というところまで導き出せるもんだと思うし、
「行間を味わう」=文字化されてない部分を堪能する
ってのもあるので、「ここが一番重要ですね」といわれると、
フに落ちなかったりするんです。
文章には書かれていない、
自分が感じ取ったところが、重要なんだもん。
書き言葉は観た目が美しいと思う気持ちもあるんで、
全部、朗読するってのも違う気がするんだけど、
いい文章に出会えるきっかけってのは、
いっぱいあった方がいいから、
夏目漱石や森鴎外が消えた、今の教科書よりも、
この教科書の方がよいかもぉーと
ちょっくら複雑な心境の弥絵でした。
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